推しがタイトルロールになった

推しがタイトルロール0番になった記録

推しがハリーポッターになった日

推しが赤坂ACTシアターの0番に立った

2024年4月20日12:15

彼はハリーポッターとしてデビューした。

(便宜上、推しと表現するが

私の界隈では推し=贔屓だったりする)

 

 

2005年6月10日 青山劇場

私は、THE BOY FROM OZを観劇してきた。

いや、実は飛行機が遅延して遅刻をした。

席に着いたのはコンチネンタルアメリカンのシーンだった。

決して上手いとは言えない彼がそこにいた。

気になって仕方がなく、劇中も彼をおっていた。

カーテンコール、その笑顔に全てを持っていかれた。

まさかプロデビューだったなんて思わずに見ていたから、あとからパンフレットをみて驚いたことを覚えている。

その日から私は彼のファンになった。

彼を推すと決めたのだ。

 

当時の私はまだ若く、思うように舞台を見ることは出来ていない。

それでも努力はしていたとおもう。

当時のスマホもない時代に(笑)

ただそこから、有難いことに再演、そしてレ・ミゼラブルミス・サイゴンと彼は大作への出演を決めていく。

 

何年も何年も時は流れる

そしてついに時はくるのだ。

上野聖太ハリーの誕生だ!!!!

 

その日のカーテンコール

あの人変わらぬ笑顔がそこにあった。

 

大小問わず沢山の作品に出演し

照明の当たらない場所でも繊細で、心をつかむ芝居をする

真ん中に経っても押し付けがましくない芝居をする

プリンシパルをやっても取りこぼしのない芝居をする

だから彼を推してきた。

 

ハリーポッターと呪いの子

彼はこの作品に、プレビューからアンサンブルとして出演している。

コロナは演劇界に大打撃を与えたが、唯一プラスの効果を与えたことがある。

カバーキャストの存在が表向きになったことだ。

カバー、スウィング、アンダー

各カンパニーによって、言葉は様々ではあるが何か有事の際に出演できる控えというのは大事なことなのだ。

海外ではカバーキャストの日などがある。

日本では基本有事の際にだった。

確かに今回はハリー役が2名の期間がでたことで(通常トリプルで交代制)のフォローのようにみえる。

でも、それでも、

この日!!!!!と決まった出演日があり

彼の名前がキャストスケジュールに載る。

突然ではなく、用意されたデビューを迎えたのだ。

 

ハリーポッターと呪いの子。

ハリーポッター役は名だたる役者がやってきた。

所謂、有名人だ。

藤原竜也石丸幹二向井理、大貫勇輔(敬称略)

今後もそうだ。

そこにアンサンブルから彼が真ん中にたつのだ。

 

推しなので、贔屓目はある。

ただ、贔屓目を差し置いても知名度が名だたる有名人に比べればあるわけではない。

芸能人(テレビに出るような)と比べたら、集客力は劣るだろう。

だからといって、上手いのにプリンシパルが出来ないという文化はあってはいけない。

(彼は現にプリンシパルも経験しているし、富山限定の回転木馬では0番にたっている)

今回も不満を言えば、カバーキャストインタビューに関しては公式Xではリンクすら流れてきていない。

大事な作品のカバーを務める人達の話なのに。

ただそんなことを吹き飛ばすデビュー日だった。

 

快晴の赤坂。

キャストボードの1番上に名前がある。

本当にハリーポッターをやるのだ。私がずっとずっと推してきた人が、ハリーポッターだ。

 

着席し開演を待つ。

おそらく、彼が袖にスタンバイしたであろう時間に袖から拍手が起きた。

カンパニーに愛されていることは、デビュー決まって以降の共演者から伝わってきていた。

愛されてることを実感すると涙が止まらなくなった。

そこから3時間40分、人はここまで泣けるのかと思うほど泣いた。

幕間の私は、カタコトでしか話せていなかった。

カーテンコールはみんなに祝福されていて、嗚咽だった。

終演後、友人たちが席まで迎えにきてくれたが立ち上がることが出来なかった…。

 

聖太ハリーは、最高のハリーポッターだった。

大人になるしか無かった子供の頃、孤独を抱えたまま大人になったチグハグな心

繊細で脆いままの気持ちに蓋をして成長したハリー。

色んなことに巻き込まれながらも、どこかでヒーローになるしかないと強くなった人。

自身も欲しい言葉が貰えず苦しんだけど、欲しい言葉をかける方法を知らない。

苦しい人だと思った。

そんな聖太ハリーが、わが子アルバスと喧嘩する時に子供の頃の傷がみえる。

だけど、大人だから子供に対してきつくなってしまう。

矛盾を抱えたオトナをとんでもない塩梅で演じていた。

シンプルに芝居が上手い。

言葉の置き方、間のとり方、相手とのコミュニケーション。

受け取ることが上手いひとの芝居だ。

 

「今日はいい1日になる」

ハリーポッターの幕切れのセリフだ。

彼そのものだと思った。

いつも明るく、人を明るくできる人。

太陽のようで、向日葵のようで、みんなの心を照らす人。

前向きなこの言葉の、この台詞の重みが凄かった。

 

自分の両親が殺されるのを見ながら泣いてる彼の目には、私たちには見えないその様子が映っていた。

彼は見えない何かを見せる芝居をする。

それは、どんなサイズの箱でも

どんな役でも。

景色を見せる、景色を変える。

そこに雨を降らせるし、風を吹かせる。

それが0番でも何も変わらなかった。

息子と向き合う時も

スコーピウスが化けたハリーポッターとしてスコーピウスを演じている時も

 

2005年から、彼が積み上げてきたたくさんの時間がある。

その積み上げてきた時間が全て全て無駄ではなく、

当たり前にその結果がそこにあり、

そして、彼が到底理解出来ないような努力をしてきたこと。

負けずにいてくれたこと。

そのうえでこの瞬間があったのだと思った。

積み重ねたものが何度も見えるそんな時間だ。

 

いつか、都内の箱で0番を、

いつか、みんなが彼が真ん中にたって盛大な拍手を送る姿を見る。

それを待っていた。夢に見てた。

 

夢が叶った。

私の人生の夢がひとつ叶ったのだ。

 

心の底からありがとう。

推しが0番にたった、しかもACTシアターで。

しかもハリーポッター、タイトルロール。

 

私はこの日を一生忘れない。